東海道五十三次を歩く  見付宿から掛川宿  2019.9.7
         
歩行距離   15.3km   京都三条大橋から延べ  258KM

御幸橋東詰に西見付が置かれ、
高札場風開設板と復元された見付石垣が設けられている。
袋井宿には3軒の本陣が置かれていた。
一番格式の高い東本陣跡。
代々八郎左衛門を名乗った田代家が勤めていた。
東西どちらからも27番目に位置する
東海道53次のど真ん中袋井宿をアピールし、
初代広重の描いた「袋井出茶屋之図」を
モチーフに建てられた茶屋。
秋葉山常夜灯です。
立派な彫刻付きの常夜灯は珍しい。
常夜灯の豪華な彫刻。
常夜灯の屋根瓦。形が面白い。
ところどころに松並木が残っている。
日本橋から60番目の久津部一里塚。
東海道分間延絵図にもその姿が描かれ、
木花開耶姫命を祀る重要文化財
・富士浅間宮本殿までの参道の入口に立つ赤鳥居。
日本橋から59番の一里塚。
昼食の場所。
940年天慶3年、天慶の乱にて藤原秀郷の
一行にほろぼされた平将門と18人の武将の
首級が埋葬されていると伝わる。現在は1基残った
将門の首塚を中心に石碑が立てられている。
円満寺の入口に建つ「蕗の門」。
もとは掛川城内にあった四脚門で、
廃城後円満寺が買い取り現在地に移築。
市指定文化財。
現在の中町交差点、南東角付近に問屋場が
置かれていた。向かいに清水銀行掛川支店がある。
掛川城。
天正18年1590年家康が関東移封後山内一豊が入城。
掛川城御殿。
掛川城大手門から見たお城。
三日月堀跡。
大手門の支柱跡。丸いところ。規模の大きさがわかる。
大手門。
現在の大手門は元位置より50M程北側に復元。
大手門を支えていた土台。
掛川城番所。
番所は1854年の地震で倒壊後、
1859年に再建された。
掛川城下七曲り。
城下の防御として道が鉤の手に
いくつもおれ曲がる新町七曲りが作られた。
日本橋から57番目の一里塚。

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