西尾城TOPPAGEへ    前に戻る

承久の乱(1221)の戦功により三河守護職の足利義氏が築城。戦国時代には、牧野成定、酒井正親、田中吉政と代わり、
1601年本多康俊が西尾2万石の藩主として入った。その後藩主は松平氏、本田氏、太田氏、井伊氏、増山氏、土井氏、
三浦氏、と頻繁に代わる。1764年明和元年に山形から大級松平氏が六万石西尾藩主として以来廃藩まで五代続く。

鍮石門(ちゅうじゃくもん)です。西の丸への表門です。
間口約8m、高さ6.7mの楼門式です。
西の丸跡地に旧近衛邸です。
摂家筆頭左大臣を努めた近衛忠房邸に嫁いだ夫人の縁
で島津家により建てられた江戸後期の建物。
堀をめぐらした城址、
本丸跡に達つ石碑
本丸丑寅櫓です。無料で中に入れます。
本丸の東北隅に建てられた隅櫓です。三層です。城内で一番高い位置にある。
外敵の察知には絶好の地点に建てられていた。
明治の初めに天守閣はじめ他の櫓は
台共に壊されたが、ここだけが残された。