東海道五十三次を歩く
戸塚宿から日本橋 42KM 3日間で完歩
2020.11.10~12日
三条大橋から日本橋まで492km完歩 2018.1.13~2011.11.12 26回で三条大橋からの日本橋まで完歩。
1日目 戸塚宿~神奈川宿
2日目 神奈川宿~品川宿
3日目 品川宿~日本橋
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戸塚宿を出発です。 | |
品濃一里塚です。 日本橋から9番目。 京から115番目の一里塚。 |
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保土ヶ谷一里塚跡。 | |
権太坂。 昔は今より急坂で江戸からの旅人が初めて出会う難所。 一番坂と二番坂があり。松並木が続き、 富士山が眺められる景色は多くの浮世絵にも描かれた。 |
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権太坂。 | |
保土ヶ谷上方見附跡。 土盛りを上に竹木で矢来を組んだ構造で土塁とも呼ばれた。 |
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旅籠金子屋跡。 格子戸や通用門が 当時の旅籠の雰囲気を伝えている。 |
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保土ヶ谷宿本陣跡 | |
神奈川台関門跡。 横浜開港後に外国人の殺傷事件が相次ぎ、 幕府はその対策のため、横浜の各所に関門や 番所を設け警備を強めた。 関門は安政6年1859年に設置され、明治初頭に廃止された。 |
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田中屋。 文久3年1863年旅籠「さくらや」として創業。 歌川広重の神奈川宿台之景 に二階建ての旅籠ととして描写されている。 |
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生麦事件の碑。 文久2年1862年、薩摩の島津久光が江戸の帰り、 生麦村で行列に馬で乗入れた 英国人リチャードソンら4人を無礼打ちし殺傷した事件。 |
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井戸跡。 | |
生麦事件の現場。 | |
鶴見駅。 | |
鶴見橋関門旧跡の碑。 外国人への殺傷事件に対し 不審な浪士や旅人を取り締まるため、 鶴見橋の袂に関門が設けられた。 明治15年に建てられた。 |
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鶴見橋。 | |
市場村一里塚跡。日本橋から5番目の一里塚。 | |
川崎宿本陣跡。佐藤家、中ノ本家 田中家の3軒の本陣があった。 |
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川崎宿問屋場跡。 往時は約30名の問屋場役人が伝馬人足、 飛脚、本陣の休泊などの宿場業務を監督していた。 |
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鈴ヶ森刑場跡。 | |
慶安4年1651年に江戸幕府により開設。 間口40間74m、奥行き9間16mの広さ。 |
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首あらい井戸跡。 | |
閉鎖される明治4年までの220年間に 10~20万人もの罪人が処刑された。 |
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磔台跡。 | |
火炙り台跡。 | |
品川宿入り口。 | |
品川寺。 創建は大同年間806~810年と 伝わる真言宗の古刹。 入口付近には江戸付近には 江戸六地蔵のひとつ鋳物の 地蔵菩薩坐像が安置され、 当会七福神のうちの毘沙門天が祀られている。 |
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品川宿本陣跡。 当初本陣は北品川宿と南品川宿は早くにすたれ、 江戸中期ごろには北品川宿のみとなった。 |
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品川駅。 | |
高輪ゲートウエイ駅。 | |
高輪泉岳寺。」 | |
大石内蔵助銅像。 | |
浅野内匠頭の墓。 | |
大石内蔵助の墓 | |
高輪石垣跡。 高輪2丁目交差点北側に残る高輪海岸の石垣石。 江戸時代に高輪海岸に沿って造られた石垣に使われた。 |
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東京タワーが見える。 | |
銀座の柳の碑。 | |
新橋の親柱。 江戸城芝口御門には芝口橋が架かっていたが、 享保9年1724年に焼失後、新たに新橋として架橋された。 |
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銀座通にはいる。 | |
服部時計店。 | |
三越銀座店。 | |
三越のライオン像に珍しいマスク像。 | |
銀座発祥の地碑。 慶長17年1612年徳川幕府はここに 銀貨鋳造を行った銀座役所を設置。 当時は新両替町と称していたが、 銀座町が明治2年に公式名称となる。 |
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京橋の古い擬宝珠。 | |
終点の日本橋が見えてきた。 | |
日本橋に到着。 京都三条大橋から日本橋まで492KMを完歩。 |