東海道を歩く    掛川宿~金谷宿
2019年10月5日   三条大橋から延べ 273KM


掛川宿から金谷宿に向かう途中に事任八幡宮がありました。
事任八幡宮です。枕草子にも記され、
思いのままに願い事が叶う神社として信仰される
言霊の神様を祀る古社。
神社の境内。楠の大木がありました。
大木の中の音を聴く。
下木戸跡・高札場跡です。
東西の入口に木戸が設けられていた。
復元された高札場です。
旅籠屋川坂屋です。日坂宿最西端の旅籠。
川坂屋の内部。
川坂屋の入口です。

旅籠屋です。
立派な蔵。
本陣跡地。日坂宿の本陣跡。
代々片岡金左衛門家が勤めた敷地350坪。
建坪220坪の広大な本陣。
小夜の中山峠に向かう道中。
道端にヒガンバナが咲いておりました。
夜泣き石跡。この地で強盗に殺された
お石という妊婦の霊が近くにあった
丸石に乗り移り、夜毎に泣いたため
「夜泣き石」とよばれた。
涼み松。
往時旧東海道脇で峠を歩く旅人たちに
木陰を提供していた松のこと。
佐夜鹿一里塚跡。
日本橋から56番目、京から70番目の一里塚
小夜の中山公園にある円柱状の歌碑。
西行が奥州を訪ねる途次、
道中で詠んだという歌を掲げている。
街道途中にある茶店。飴が名物、
久延寺境内に夜泣き石があった。
当寺の和尚が夜泣き石伝説の妊婦の子を
育てたと伝わる。
富士山がきれいに見える。
いよいよ東海道の難所菊川坂を登。
菊川から牧之原まで急斜面が
続く約700メートルの坂道。
青ねばという滑りやすい土質で
行き交う旅人を苦しめたため、
この区間には石畳が敷かれた。
諏訪原城跡です。
天正元年1573年、武田勝頼が家臣の
馬場美濃守氏勝に命じて築いた城。
堀・曲輪・馬出などの遺構は国指定文化財。
城跡から富士山がきれい見えていた。
堀跡。
二ノ丸跡。
金谷坂です。
牧之原から金谷に続く約460mの石畳。
江戸時代は約850m続いていた。
金谷宿には一番本陣(柏屋)跡です。
二番本陣(佐塚屋)。本陣廃業後本屋となる。
大井川です。今回の最終地点。


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