東海道53次を歩く 舞坂宿から浜松宿
2019年6月11日(土) 歩行距離 14km 三条大橋から延べ走行距離 228.5km
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麦飯長者屋敷跡。 街道を通る旅人に湯茶や麦飯を出してもてなし、 いつしか麦飯長者と呼ばれるようにうになった。 |
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浜松領境界石。 浜松領の松平家と堀江領の大沢家の 領地堺を示す石。 |
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二つ御堂。 奥州平泉の藤原秀衡の愛妾が ここで秀衡死去の誤報を聞き、 その菩提を弔うために阿弥陀堂を建立した。 ここは南側のお堂。 |
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同じく二つ御堂の北側のお堂。 | |
若林一里塚跡。日本橋から66番目、 京から60番目。 |
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鎧橋。平安時代、比叡山延暦寺と鴨江寺の争いで 鴨江寺側僧兵がここで水田一帯に水を張り、 鎧を着て橋を守りを固めたとため、鎧橋と名付けられた。 |
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浜松宿本陣跡。 | |
同じく浜松宿本陣跡。 | |
本陣のあったところ。浜松いわた信用金庫のビル。 | |
同じく浜松宿本陣跡。 | |
五社神社および諏訪神社。 曳馬城内に久野越中守が創建したことに始まる。 五社神社と延暦10年に坂上田村麻呂が 東征のおり奉斎した諏訪神社が昭和35年両社合祀し発足。 |
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同じく五社神社及び諏訪神社。 | |
浜松城への道しるべ。 | |
浜松城。 | |
家康の銅像。 | |
石垣。 | |
家康時代の石垣。 | |
石垣と城の建物の大きさが違う。 犬山城を模して復元したためか。 |
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城の裏手に立派な石垣。 | |
鎧かけの松。 | |
金原明善翁生家。 天竜川の治水事業や官有林の植林などに力を注いだ。 |
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石作りの立派な蔵。 | |
かやんば高札場跡。 | |
六所神社 | |
大井川の堤防。今回の歩行の終点。 |